2014年東京大学入試 世界史解答例
第1問
19世紀, ロシア帝国は不凍港や地中海への出口を求めて黒海沿岸やバルカン半島への南下政策を推進し, シベリア・沿海州や日本海などへの進出も図った。先ずウィーン会議で神聖同盟結成の中心的役割を果たした皇帝アレクサンドル1世が, ポーランド王やフィンランド大公を兼ね, 黒海に近いベッサラビアも獲得した。次の皇帝ニコライ1世は, カージャール朝とトルコマンチャーイ条約(1828年)を結び, 東のアフガニスタンに 進出した。1830年七月革命の際にはポーランド独立運動を徹底的に弾圧し, 63年にロシア領に編入した。また, オスマン帝国の衰退に乗じてバルカン半島に進出し, 第一次エジプト・トルコ戦争後にはボスフォラス・ダーダネルス両海峡の自由航行権を獲得した。しかし, 第二次エジプト・トルコ戦争後には英国のパーマストン外交で両海峡とも 中立化された。その後, 聖地管理権問題から勃発したクリミア戦争では英仏等がオスマン帝国を支援し, 再び挫折した。約20年後にはボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける 反乱を契機とする露土戦争に勝利を収めたが, ビスマルクが招集したベルリン会議(1878年)で南下策を阻止され, 独露関係の悪化につながった。
一方, 19世紀後半には沿海州方面への進出を図り, 1858年愛琿条約でアムール川以北を, 1860年北京条約では沿海州をそれぞれ獲得し, ウラジヴォストクに軍港を建設した。 また中央アジアでは, ムスリムの反乱を機に新疆に出兵し, 1881年イリ条約で清との国境線を定めた。1891年には露仏同盟締結によってシベリア鉄道の建設が開始され, 清の東北地方(満州)における東清鉄道敷設権も獲得した。日清戦争後の日本への三国干渉では遼東半島を還付させたが, 1898年にはその遼東半島南部の旅順・大連をロシアが租借したため日露関係が緊張することになった。
第2問
問(1)11世紀後半, セルジューク朝の侵攻を受けたビザンツ皇帝アレクシオス1世は, ロー マ教皇に援助を求め, これを期に十字軍がおこった。しかし, 第4回十字軍によって首都を一時占領された後は, 国力が衰退していった。14世紀にはオスマン帝国がバルカン半島に進出し, 1453年首都コンスタンティノープルの陥落で滅亡した。
問(2)(a)マラッカ
(b)開発や農業生産の上昇では人口急増に伴う食糧難を賄いきれず, 福建・広東など沿岸部住民は東南アジ ア各地に移住して華僑(南洋華僑)となった。
問(3)(a)ジョンソン大統領。北ベトナムへの大規模な爆撃(北爆)を行い, 50万の大軍をベトナムに派遣した。
(b)米国がドルと金の交換を停止したため国際通貨体制が大きく動揺し(ドル=ショック), 1973年には変動為替相場制に移行した。
第3問
問(1)ヒッタイト
問(2)ペリオイコイ
問(3)養蚕
問(4)占城稲
問(5)市政を独占していた大商人に対して市政参加権を要求した。
問(6)領主層は直営地を拡大して農民を土地に縛り付け, 輸出用穀物を栽培させた。
問(7)第一インターナショナル(国際労働者協会)。ロンドン。
問(8)マハトマ=ガンジー。塩の行進。
問(9)農業調整法AAA。全国産業復興法NIRA。
問(10)ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体ECSC
注:文字数は全く無視してあります。
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